ここまでの釣果を見る限りでは、絶好調!神津島!と言うタイトルをつけたいところだが・・・実は決して簡単な釣りではなかったと言うのが今回の釣り。私もそれなりに魚をかけたが・・・ウキが消しこむ、または道糸が弾ける・・そんなあたりは数度しかなかった。

私が釣った魚の大半は【際】でかけた魚、そのあたりも渋い。軽いウキにあえてガン玉を3段に打ち、際へ沈めてタナを取り極力仕掛けを張って【コツン】って言う僅かな魚のあたりを取る釣り。そう、昨年、大根で気が付いた房総の釣りの応用編。

これを実践しないと差し餌だけ取られて魚は乗らないと言う究極の悩み迷路へ・・・このケースで餌をかじっているのは餌取りだという判断を下したならばその人間は結果を残せないと言うような状況・・つまり食いが渋いと表現する方が良いような状況であった。
 
今回の釣りでもっとも収穫があったのはYoshiy。先日、神津の釣りの醍醐味をようやく経験できたYoshiyは、頭の中に「神津の釣り」と言う勝手なイメージがあったと言う。

なかなか結果が出ないYoshyを私のポイントへ呼んで一緒に竿を出す。どうやって食わせているか説明したが彼にはそれを理解したくないと言う気持ちがあったと言っていた。

「ここは神津だよ!そんな釣りじゃないと釣れないの!??」

困惑したYoshiyの表情に数年前の自分自身を思い出す。
 
際のサラシに対応できない・・・なによりも神津島、しかも今期絶好調の長ン根で僅かに穂先に触る【コツン】って言うあたりを拾う釣りをする・・・この現状を理解できない。

その後、もとのポイントに戻ったYoshiyは、最後にラッシュをかけて数枚の良型を仕留めたが軽快に竿を絞る私たちがよもやそんないやらしい釣りを展開し結果を出していたとは信じれなかったようだ・・。

確かに入ったポイントの良し悪しで釣果が大きく左右されることは多いにある。でもすべてをそれだけの理由にしていたら釣りの技術は進歩しないだろう。

この数年、神津のエキスパートと同じポイントで同じように竿を出し、何度も置いて行かれた苦い経験が私にもある。言うまでもなくその釣果の差に「入った場所」などという言い訳は通用しない。いとも簡単に魚を上げる彼らにはやっぱり明確な技術があり、そして私にはなかった・・・ただそれだけのこと。
 
この現実に直面しそれを受け入れた事から私の釣りには大きな変化が現れたような気がする。

釣れる釣れないは運だけではない・・・釣れなければ悩めばよい。そして悩んで考えたことをまたフィールドへ出かけて試す事こそが磯から上がったときに満足できるかどうかに繋がると思っている。

釣果だけがすべてではない!その通りではあるがやっぱり釣りを続ける以上、たくさん釣りたい!いや、せめて自分自身が満足できる釣りがしたいと思うのならばやっぱりこの「もやもや」は避けて通れない。
 

満足できる釣りができなかった・・・そして神津の釣りの本当の醍醐味を知ったYoshiy。帰り道の車の中でのYoshiyは凹んでいたがこのもやもやを吹き飛ばす意気込みにあふれていた。私は神津の釣りの醍醐味は、まさに今日の釣りだと思っている。

分かっていることだが、神津島は決して魚が数が薄い場所ではない・・・数年前に見た湧きグレの数は天文学的数のメジナであったように魚は私たちが普段出かけるフィールドのどこよりもいる。しかし・・神津の釣りは簡単ではない・・・

その時のその一瞬の状況にしっかりと対応できる引き出しの多さと対応力が必要とされるのが神津の釣り、その結果は言うまでもなく、魚がいるだけに【釣る人だけ釣る】または【釣りひとだけいっぱい釣る】と言うシンプルな結果を残す。

今回はたまたま私のチョイスした釣り方がマグレでマッチしたから少しだけ目立つ釣果を手にできたが、神津の釣りはまだまだ奥が深い・・・午前中のフィールドでメジナを1枚もかける事ができなかったこと・・・これもまた私自身の「もやもや」となったのも事実だ。

「あ〜〜あぁ・・・せっかく前回神津の釣りを堪能できたのに〜〜〜なんかモヤモヤがいっぱいです〜〜」

帰り道で何度もそう言っていたYoshiy。大丈夫!上達したい釣り人にはモヤモヤは誰にでもある。そしてそのモヤモヤの行方は間違っていない・・・さらにそのモヤモヤの向こうには必ず次のステップが用意されていると私は信じている。そして、そのモヤモヤはフィールドでしか解消できないと分かっているつもりだ。

奥が深い・・・・懐が深い・・・こんな神津の釣りに魅せられたニューフェイスがまた一人・・・。