競い合いに見出される喜びや楽しみ、そして感動、これは人間の本能。

この世に生まれた人間という種族、弱肉強食時代に生まれた人間には身を守る術は無く、集団で生活することで肉食獣やその身を襲う猛獣などから逃れる術を知る・・・・・この本能の習性が人間ならではの社会という社会というものに進化した。その人間という種族にはオスとメスが存在し集団生活の中で人間は時に争いを繰り返す・・・時には生活する集団を守るため、時には、子孫を増やすメスを奪い合うため・・・・・。

争いと競い合いは遠き古の時代から繰り返された人間の本能の歴史。

一口に本能の歴史とは言え・・・人間は現代社会でさえ醜い争いを繰り返す悲しき種族、争いと競いは似て非なるもの・・・・ではすべての競いごとは・・・すべて醜いもの・・・・・なのか?

釣りとは・・・・人間の本能に残る命の鼓動を唯一感じれるものである・・・ある本にそう書いてあった。

人間が狩猟民族と農耕民族に分かれるという学説をよく聞くが・・・狩猟民族であった人間にとっては、狩のときに獲物に突き刺した槍などから手に伝わる命の震えは記憶のどこかに残っているという。つまり釣りは、魚をかけた瞬間、魚が伝えるピクピクやブルブル・・・・・これこそが、太古の人間が生きていくために動生物の命を頂いていた、そんな狩猟民族時代の記憶の中にある人間本来の本能の記憶であるという。

本能の記憶「釣り」人間の歴史「争い(競い合い)」この二つを合わせたとき・・・そこに人間の本来持ち合わせるものが生まれるのは自然なことで、特に釣り人はここの誘惑に弱い・・・そして人一倍こだわる・・・・。

それは、 楽しいはずのファミリーフィッシングでさえ子供には負けられない!彼女とのラブラブフィッシングでも良いとこ見せたい!親しい仲間同士でもやっぱりできれば一番釣りたいと思う・・・・・

世の中には、 醜い争いではないものもあるんだ・・・そう学んだ人間は、遠きローマ時代にスポーツや騎士道、武道などに争いではなく競い合うという精神や楽しさを受け継がせた。

 

 

B-1Gpとは・・・仲間同士で競い合うという究極の競技である・・・極論ではあるがそれは、太古の人間が生活する集団の中で己を最も強い者と誇示し集団の生活の秩序を守った本能的活動に等しい。

誰がその持ちえるテクニックを駆使し、長年積み重ねてきたノウハウによって、その年一番魚を釣ったのか???単純にこれを決めるだけの争い・・・いや現代で言う競技である。

そして見事、その頂点に立ったものには、MASTERと言う称号とその権利を持ったものしか袖を通すことが出来ない唯一無二のジャケットを着用することが認められる。

賞金争いや商品争いではない・・・・いわば今までのキャリアーと同クラブ内で切磋琢磨してきた技術の集大成を遺憾なく発揮すべく競技する、そして、いまやエキスパートと呼ばれるようになったBIGONEと言うクラブの中の釣技の最高峰と言う名誉を競い合う・・・・・優劣をつけたことのない組織にとってこれはまさにプライドとキャリアーをかけた大勝負である。